松井冬子展との再会
先月上旬に無事にクローズした銀座のナカジマアートでの松井冬子展へ二度ほど足を運んできた。
とても忘れがたいことに、松井冬子さんご自身とお話をさせて頂いた上になんと目の前で買ったばかりの画集に目の前で直筆のサインまで頂いてしまうという奇跡のような、夢のようなひとときだった。
実は今回、私は松井冬子さんとお話させて頂くのは二度目である。
元々松井冬子さんがデビューされた当初、海外に住んでいた私はインターネットの記事で松井冬子さんのことを知り、あまりの絵の繊細さとモチーフの解釈にとても衝撃を受けた。
そして、さらに大きな衝撃を受けたのは以前に開催された横浜国立美術館で行われた松井冬子さんの素晴らしい展示会「世界中の子と友達になれる」だった。
アメリカから帰ってきたばかりの時に、たまたま広告を見て知りすぐに現地へ向かったのだ。
それだけでも日本に帰ってきて良かったと思えたほどだった。
さらに驚くのは、松井冬子さんの絵を見て全身で受け止めるのが精一杯なほど頭と心が感動を整理するのに追いつかないときに、なんとご本人が目の前に登場したという奇跡。
今思い出してもあれはとても贅沢な展覧会だったと思う。
大きな壁一面に緻密に描かれて圧倒されていたが、感動したのはそれだけではない。
それは松井冬子さんの持つ言葉の力だ。一つの一つの絵とタイトルである。タイトルを見て、ご本人の言葉の解説を読んでから改めて絵を見ると、また別の角度から何度も楽しめるのだ。
松井冬子さんの絵にはご本人の解釈がはっきりと的確な言葉で綴られていることが多く、それらの言葉選びのセンスや表現力も私は大好きで何度でも読んでしまう。
小説家でも恐らく多くのファンを獲得していただろうなと思う。
そして今思い返せば、とてもおこがましいとは思うが、このDon‘t Cryで「Arts and Life」という項目を入れるようになったのもこの先月の展覧会で見た松井冬子さんの解説を読んだことも大きい。
今回のナカジマアートさんで行われた「懼怖(おそれ)の時代」で展示されていた今回の展示会のご本人の言葉による説明に、深い感銘を受けて誠に勝手ながら色々と自身の体験を踏まえてリンクしたのである。
それはこの様な一文だった。(松井冬子展の説明文より抜粋)
「この「おそれる」とは日常に潜む不安や緊張、さらには過剰な執着を象徴するものであり、しばしば現実世界を虚無的なものとして認識させる要因にもなり得ます」
これは私が事件に巻き込まれ、ネットで少しずつ匿名配信をしていくと、そこにはありとあらゆる真実性の不確かな情報に不安を覚え、あるいはそれらの翻弄される者達の声だった。
これらは私が勝手に感じたことなので、制作された松井さんご本人が意として伝えたかったことではなかったかもしれない。おそらく違うだろう。
しかし、今回改めて松井冬子さんの絵に触れ、思い出したことは松井冬子さんが描いてきた「痛み」とは、まさに私が自分の実体験を通しても、またこの団体を立ち上げるきっかけにもなった色々な人からの目に見えない「痛みの声」がリンクしてしまう。
しかし、松井冬子さんの絵はそうした痛みを抱えた行き場の失った想いをうまく成仏させてくれるような気がしてならない。
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