素敵な出会い
先日、講演会のため某大学へ足を運ぶ際コーヒーが飲みたくなり、あまり深く考えずにすぐに目に留まったチェーン店のコーヒー店に立ち寄った。
そこで一人一人のオーダーに少し時間が掛かっていたので、モバイルオーダーにしようか迷っていたところ、手話を使ってスタッフがオーダーをしているのが見えた。
私は最初、手話が出来るスタッフも居るからここは聾者の方々には安心して利用できるお店なのか・・・と思っていたら、レジ担当のスタッフが手話をしていたのはお客様が聞こえないからではなく、スタッフが聾者の方だからということが分かった。
私は正直、突然のことで何とジェスチャーで答えてよいか戸惑ってしまったがスタッフの方が満面の笑みで一生懸命接客をしていることに好感を伝えたくて、自分でも怖いかも?と思うくらいの満面の笑みを作って、テレビなどでうろ覚えの「ありがとう」のジェスチャーをしてみた。
あくまでもこうした体験の私の一方的な「受け止め方」でしか書けないのがもどかしいのだけど、私がとにかく伝えたいのはあのスタッフの生き生きとした笑顔に心が晴れやかになったということなのだ。
そして、そのお店が健常者と何も分け隔てることなく、接客をさせている姿に私はとても深い感銘を受けたし、このようなお店があることにとても嬉しかった。
私は日本に帰ってきてから常々、障碍者(という書き方があまり好きではないが、「社会的弱者」という言葉もあまり好きではない。「弱者」と言うのは「強者」が居て成り立つ言葉だ。「強者」とは誰のことを指すのだろうか?)と健常者の壁の大きさを感じていた。
アメリカやヨーロッパでは車椅子や身体の不自由な人が居ても、みんな当たり前の行動として普通に手助けをする。バスに乗るとき、電車に乗るとき、レストランで車椅子が溝にはまってしまったときや、テーブルにうまく入らないとき。
だけど、日本では簡単な手助けでも周りの人との間に壁を感じるのは私だけだろうか?
大学で用事を終えると、帰りに私はこのお店に改めて取材をさせてもらえないか、店舗の責任者の方と話した。
その時、先ほど接客してくれたスタッフが笑顔で挨拶をしてくれた。
スマホを使いながら立ち話をしていると、その彼女から深い深い凍り付いてしまった心を溶かすような何気ない一言を言われた。
このNPO Don’t Cryのことを話すと(正確にはボイスレコーダーの文字起こし機能というのだろうか?)一言目に「大変だったでしょう」という言葉が目に入ってきた。
私はその瞬間、実は泣いてしまうのではないか?と言うほど、心の奥深い不意の部分を突かれた。一瞬、涙が出ないようにこらえるのに必死だった。
私はこの団体を立ち上げるまで、生まれて初めてドラマの世界でしか見たことのなかったような公安警察や冤罪という一般人ならまず巻き込まれない事件に巻き込まれた。
ある日突然、私の人生は変わってしまったのだ。
それは冤罪に限らず、犯罪の被害に遭ってしまった人、事故や病気で自分の身体に障碍を負ってしまった人、大事な人を失ってしまった人、色々なケースがあるだろう。
人生というのは突如として、想像すらしてなかったように全てを変えてしまうほどのことが起こり得るということを私は今回の事件を通して痛いほど知った。
事件に巻き込まれて何がどうおかしな力が働いていたのか分からず弁護士もお手上げ状態の中、何とか自分が置かれた状況をきちんと解決しようととにかく駆けずり回った。
何十人もの弁護士と話し、警察や公安委員会、警察庁、地方検察庁、裁判所、冤罪を仕掛けた加害側が関わっている各官公庁などなど、一般人であればまず普段話すことが無いような省庁と何時間も何時間も話す日々だった。
冤罪という確実にたくさん存在はするけれども、世間では重い蓋をいくつも閉じられている、それはまるで世の中で私が透明人間になってしまったのではないか?と思うほど世間との壁を私はとても厚く感じた。
結果的に私に助け舟を出してくれたのは国を相手に多くの難しい事件を担当している有名な事件を担当してきたベテラン弁護士達からのアドバイスや政治家の人達だった。
確かに私は「大変だった」。それは言葉に出してしまうととても簡単に聞こえてしまうけど。そんな風に言葉に出すことさえ思いつかないほど必死な状況が、私には当たり前すぎて忘れてしまっていた。
多分、彼女は私が通ってきた道とは違うけど、きっと世の中で自分と世間の壁の厚さをこんな風に感じる中で生きてきた辛さを知っているから、一言目に「大変だったでしょう?」という言葉が出てきたのかもしれない、と勝手に私は感じてしまった。
今まで私がNPO団体を立ち上げ、色々と活動をしていることを話しても「すごいねー」と「すごい」という言葉は言われても、「大変だったでしょう」と私の視点に立った言葉を掛けてくれたのは彼女が初めてだった。
決して悲しい訳ではなく、初めて他人から認めてもらえたような、それまで一人で戦い(決して一人ではなかったけど、気持ち的には正直一人で戦ってきたと思ってしまうのは私がまだ未熟だからだろう)冷たく固く凍り付いてしまっていた私の心の一部分が確実に一瞬でも溶けたような感覚に陥った、とても不思議な出来事だった。
私は何故、自分がこんな立場に置かれてしまったのか、何十回も何十回も考えた。
考えても、考えても答えが出なかった。
形は違えど、同じ気持ちを抱えて生きている人達は居る。
私がこの団体名を「Don‘t Cry」と非常にシンプルにしたのは、全くその通り「泣かないで」とそんな想いを抱える人たちに伝えたいからだ。
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