犯罪被害者が苦しむこと。
年末年始を皆様はいかがお過ごしでしたでしょうか?
さて、NPO Don’t Cryは本当にタイミング的なもので新たな出会いがいくつかありました。
年末に起きた大阪地裁での滋賀医大生による集団暴行事件の判決を受けて、日本全国の女性達にとってはまさに戦慄を覚えるような判決だったと思います。
細かいことはすでにSNSやフラワーデモに関する記事で取り上げられていることも多いので、ここでは割愛いたしますが真っ先に私達が心配したのは、今回の判決に関係する当事者だけではなく、今まで何かしらの被害を受けてきた方々の心境でした。
私が当団体を立ち上げるきっかけとなり、現在も取材を続けているAさん(仮名)からご連絡を頂いたのも、Aさんの事件を以前にSNSで見た関係者の方から「知り合いが関東でもフラワーデモが出来ないか検討している」という相談でした。
その中で何名かAさんに実名と顔出しで性被害を告白してくれた女性達にも訊いてみたところ、この国の潜在的な二次加害的要素を恐ろしいほど感じたのです。
まず性被害に限らず、この国で犯罪に巻き込まれる第一関門となるのは、警察だという予想すらしなかった返答が被害者達の口から聞こえてきました。
10年以上前に知り合いから強姦されたBさんは、最後の力を振り絞って警察に相談へ行ったところ、何度も何度も思い出したくないことを話しては、最終的に立場の上の警察官が出てきて「何度も警察に来られても知り合い同士で起きたことは民事不介入だから警察では解決できない」と言われ、その瞬間からこの世界の色を失っていくことをはっきり感じたと語ってくれました。
強姦が民事不介入だなんてことは法律上、全く根拠もありません。強姦はれっきとした刑事犯罪であり、警察がしっかりと証拠を集め犯人を捕まえるべきことではありませんか?少なくとも法理論ではそうです。しかしこの国の司法が現状、まともに機能しているでしょうか?
そのBさんは10年以上経った今でもPTSDに苦しみ続け、男性が近くに来るだけで呼吸が苦しくなることもあるのです。
それでも日本ではアメリカに比べると犯罪被害者達の心のケアは深刻な精神被害は置いてきぼりにされているのが現状だと、複数人の被害者の話を聞き、また私自身も事件に巻き込まれた経緯から強くそう思います。
Aさんにそのことを語ってくれた時はAさんは涙ながらに「Bさんの目が死んでしまったかのように見えた」と自分の被害を打ち明けてくれたBさんの苦しみを伝えていたのが、印象的でした。
しかしその時は、心に引っかかったものの、こんなにも犯罪被害者と二次加害は根深い問題だと思わなかったのが、私が日本に在住する複数の国籍の女性達と同席で会食をしている時にその話をしたほかの女性達の反応でした。
その時の話を思い出すとどうしても、涙目になってしまうことが堪えられず、目頭をナフキンで抑えていたところ、同席の女性から「そういう他人の不幸に感情移入していると、やるべきことが見えなくなる」という発言があり、驚きました。
最初は私自身、被害者支援をするためにやはり代表になるなら私がしっかりしなければいけない立場という愛のある叱咤激励だと思っていました。
私がそこで「でも明日、もしかしたら明後日、あなたの大事な人が同じ目に遭ってしまったらどう思う?」と訊いたら「その時はその時。たまたま不幸だったと思うしかない。だけど今、私の周りは幸いそういう被害に遭っていないから問題ない」という内容の返答が来て、一般人の理解がこんなにも遠いものなのか、と厚い壁を感じたのでした。
私が育ったアメリカでは実際にレイプ被害を聞いたときに、そんな反応する人には一人も会ったことがありませんでした。みんなが彼女が受けた傷と恐ろしい事件について悲しみや慈愛の言葉、そして必ず「何か助けになれることはある?」という言葉があったのです。
しかし、これは必ずしも性被害に限った話ではないことを、私の周りの多くの犯罪被害者の声を通して知ることになりました。
どんな事件であれ、一度事件に巻き込まれたり、事件に遭ってしまうと、それ以前の生活を取り戻すのは至難の業であると共に、特にこの国ではそれらが顕著であるように感じるのです。
それは多くの人が「自分には関係ないことだ」と無関心を決め込んでしまっていることなのですが、それは元をただすと今日本で起きてる政治不信に陥った原因がこの「無関心」であると私は感じています。
そして、犯罪被害者の方たちはこの世間の「無関心」によって、「事件に巻き込まれ、警察にも行ったのに何が大変なのか?」が全く伝わっていない社会の中でどんどん孤立していくこともあるのではないか?と思ったのです。
よく被害者の方たちに向けて「そのうち時間が解決するよ」と悪気はなくとも、他に言葉が見当たらずそう仰る方たちがいらっしゃいます。
それは幻想です。
たとえ「時間が解決」したように見えても、その「時間が過ぎ去る中」で被害者の方たちはもがき苦しみながら、何とか一日一日を乗り越えていくのです。
そして、被害者に重くのしかかるのは何も精神的なことだけではなく、莫大な法的費用になることも殆どと言って良いでしょう。
現在、日本以外の海外でセンセーショナルな旋風を起こしている伊藤詩織さんも自著「ブラックボックス」の中ではっきりと弁護士費用捻出の苦労を語っていらっしゃいます。
何故、この国では被害者が精神的負担も経済的負担もこうして強いられなければいけないのでしょうか?
これらを少しでも変えていく方法は無いのか、手探りですが少しでも我々のこれからの活動に興味を持ってくださる方々と出会いたいと思っています。
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